Share (facebook)
       
       
       
       
       
       
                               
       
        兵庫県                      
        老ヶ石(おいがいし)            
          兵庫県西宮市山口町船坂    情報提供:江頭務
          全国を巡って石を探し歩いている石職人が、老ヶ石の素晴らしさに感嘆し、石を切り出そうとしたところ、息せききって村人たちがかけつけてきた。村人は石職人に、酒に酔った勢いで石を切ろうとした男が石の中に吸い込まれるように消えてしまったことなど、この石に刃物をあてた者には恐ろしい祟りがあることを話して石切を思いとどまらせようとしたが、石職人は迷信として聞き入れなかった。石職人は石を切り始めた。静かな谷間に石を切る音がこだまし、村人たちはおそれおののきながら、石職人の一挙一動を遠巻きに見守っていた。突然、石を切るその手が止まった。
          石職人は棒立ちになったまま、打ちこまれた鑿のあとを見つめていた。何ごとが起こったのかとかけ寄ってきた村人の目に、鑿を打ちこんだ穴からまっ赤な血がほとばしって出ているのが映った。「これは大変なことになった。村の言い伝えを破ったからじゃ」村人たちは、後ろも振り返らず、村へ逃げ帰った。その後、石職人は原因不明の高熱が出て、そのあげく気が狂ってしまった。
【出典:西宮ふるさと民話より】
                    老ヶ石
         
          甑岩(こしきいわ)            
          兵庫県西宮市甑岩町   情報提供:平津豊
今から四百年ほど前、日本全国の殿様が家来に命じて、大きな石を見つけては、大阪城の石垣を築くために、大阪へ運んで行った。ある殿様が、この甑岩に目をつけ、切り出すように命じた。それを聞いた越木岩の村の長老達は「この岩は昔から白い竜が住みついている神様の岩だ。これを割って、ここから運び出すようなことをすれば、どんな祟りがあるやもしれん。お願いです。おやめください。」と必死になって役人に頼んだが、役人達はこの申し出に耳を貸そうとはしなかった。「これは大変だ。必ず祟りがあるぞ。」大声で怒鳴ったが、石切職人たちの耳には届かない。のみを打つたびに火花が散った。
          それがだんだん激しくなり、そのうちに岩の裂け目から白い煙が噴出し始めた。その熱気は、不思議な力をもって石切職人は手足を震わせ、苦しみ悶え、斜面を転がり落ちた。そして、やがて息たえてしまった。そのようすを見た役人達も、さすがに震え上がり、命からがら逃げ出した。こんなことがあって、甑岩はいっそう人々から大切に思われるようになった。今でも、大岩にはその時ののみのあとが一列に残っている。
【出典:西宮ふるさと民話より】
                    甑岩
         
          夫婦岩 (別名:紋左衛門岩、別れ岩 、二つ岩など)        
          兵庫県西宮市鷲林寺南町   情報提供:平津豊
          1983年の阪神大水害の復興の中で、県道の拡張工事が行われた。その計画では、県道通過予定地にある夫婦岩は爆破することになっていた。いよいよ爆破するという前日に、工事主任が急死した。この突然の事態に、これは祟りに違いないということになり、爆破は中止された。数年後、ある建設会社の人間が、そんなものは迷信だと言って、夫婦岩の爆破作業を申し出たが、その人も爆破作業の前日に急死した。さらに、戦後、GHQが軍事物資の輸送用にこの道路を整備しようとしたが、怪事が起きて、夫婦岩を爆破できなかったという話も伝わっている。
          また、この夫婦岩には、以下のように数多くの怪奇話が噂されている。
ある人が、夫婦岩の上に生えている木を切ろうとしたところ、巨大な白蛇が現れ、その人は高熱を出して数日後に亡くなった。夜中に夫婦岩に首から上が牛で体が女性の牛女が出る。この夫婦岩に触ると死ぬ。白い人影を見えたので避けようとして事故を起こした。岩の裂け目から女性の生首が浮びあがる。など
【出展:見聞】
                    夫婦岩
         
          呼称無し        
          兵庫県西宮市山手の住宅地   情報提供:柳原輝明
          磐座が多く存在していることで知られる山があった。その昔信仰の山であったが、住宅地としての立地条件がすぐれていたため、徐々に宅地開発が進み、人家が立ち並び始めた。そこに住む人たちは、そこに存在する岩が邪魔なものと思いながらも、それらの岩をさけて建物を建ててきた。
そのうちの一軒の家で、玄関からのアプローチが岩で狭くなっているのを、岩を欠いて幅を広げた。後に、そこの住人の一人が片手を切断するという事故に遭った。
また、別の家の話であるが、建物を建てるのに敷地内にある岩が邪魔になり、破壊することも考えたが、思いとどまり破壊せずに建物の下にそのまま残す形で建築した。その建物の主は数年のうちに倒産し建物を手放さざるを得なくなった。
【出展:見聞】
         
          コウナイの石        
          兵庫県姫路市家島町   情報提供:平津豊
          家島諸島の西島のコウナイの石は、採石場の崖の上に立つ石である。表面に古代の線刻が無数に見られ、磁場異常や放射能が観測される石である。
家島の昔話には次のように伝わっている。
昔、家松という石工が立派な石にノミを入れたところが、血が流れ出し「わしはお前に切られて死んでいくが、おばさんの高内の石だけは切ってくれるな」と声がした。家松は高熱にうなされて死に、切った石を乗せた船も風もないのに沈んだとという。今もこの石を倒そうとすると不幸な目にあうといわれる。とはいうものの、残り少なくなった採石場を拡張するには、このコウナイの石を落とす必要があり、採石業の丁場の人々にとっては、邪魔な石である。そこで、多くの人が、コウナイの石を破壊しようとしたが、怪事件が次々と起こった。
コウナイの石の下をこっそり掘ろうとした人が生き埋めになった。石を切ろうとした人が、その日の内に狂死した。石を少し切った人が、その日の夕方には腹痛に苦しみもだえながら死んだ。石材業者から頼まれた役員が「コウナイの石は落とせ」と激をとばした直後、その役員が持つ何百トンもの鋼船が真っ二つ割れて沈没した。石材業者に頼まれた霊能者がコウナイの石の魂を抜いて動かせるようにしようとしたところ、大勢の霊能者を集めなければ無理だという結論に達して断念した。
          現在は、この石から90メートルの範囲は採石してはいけないルールになっている。
島の経済を考えた場合に、このコウナイの石を破壊してしまいたいのは家島の島民自身であるのだが、その島民がこの石に手出しできないのである。単なる迷信ではない証拠であろう。
【出典:家島の昔話、上野忠彦『コウナイの石』】
                    コウナイの石
       
        奈良県        
          呼称無し  
          奈良県山辺郡山添村     情報提供:柳原輝明
          村の若者たちが祭りの打ち上げでお酒を飲み、酔っ払って山中の巨岩のところに来た。みんなで岩の周りで大声で歌い踊っていた。そのうち一人の若者が岩の上に駆け上り踊りだした。他のものは、神様が宿る岩に上ることをいさめたが、その若者は酔いも手伝って罰が当たるなんて迷信だ、馬鹿げてると言って、岩の上で小便をしたそうである。翌日、その若者は自宅で亡くなっていた。
【出展:見聞】
       
        京都府        
          泣き石        
        京都府何鹿群物部村     情報提供:柳原輝明
          京都府何鹿群物部村に犀川と言う川があるが、その川岸に白石と呼ぶ岩がある。その岩の値の張り方は、8kmにも及んでいると云う。この磐に赤子の足跡がある。そしてこの岩を欠くときっと子供の泣き声が聞こえる。もしこの岩を割って帰って、石垣に使おうものなら必ず思いもよらぬたたりを受けると伝える。
【出展:石の伝説(石上堅著)】
       
        愛知県                      
          毒石           
          岡崎市奥殿町     情報提供:中根洋治
          石は標高257mの村積(むらずみ)山の山頂にある。村積山の名前は、神体山のムレを含んだものと思われる。この山は三河富士とされ、三尊形式の山(伊勢外宮の高倉山ほか)である。西暦702年に持統天皇が来て花園山と名付けたとも言われる愛知県伝説集には、“毒石に触ると必ず病気になる”と載っている。
          また、新編岩津町誌には「殺生石」の伝説を載せている。那須野が原から全国へ飛び散ったという殺生石の話である。麓の平安時代からある隣松寺には、毒石は「霊石」であると語られている。つまり、磐座ということになる。村積神社は蘇我入鹿に滅ぼされた物部守屋の子供である真福(まさち)が西暦594年に建てたという。毒石は大小二つ立っている。大正時代に元細川総理の先祖の墓とされた。細川氏は麓の岡崎市細川町に住んでいた。
【出展:愛知県伝説集】
                    毒石
       
        広島県                      
          たたり石      
          広島県三次市三次町     情報提供:荒木亮司
          比熊山は、広島県三次市三次町に聳える、標高約331mの低山である。山頂には、中世に築かれた比熊山城の郭跡が残されている。本丸(千畳敷)の南端に「たたり石」と呼ばれる高さ130p、横幅280p程の巨石が横たわり、周囲にも複数の巨石が見られる。伝承によると、巨石群は古代において「神籠石(天津磐境)」として祭祀されていたが、江戸時代には城主・三吉若狭の墓所とされ、「触れば即死し、指を指しただけで悪心あるいは吐血する」たたり石として恐れられていた。
          寛延二年(1749)5月、地元藩士の子・稲生平太郎は、肝試しの為に比熊山に登り、たたり石に木札を結び付けた。その後7月に入ると、平太郎の前に30日間に渡って、様々な妖怪が現れたという。有名な『稲生物怪録』の伝説である。
【出展:みよし郷土史等】
                    たたり石
       
        長野県                      
          夫婦石        
        長野県南佐久郡臼田町     情報提供:柳原輝明
          長野県南佐久郡臼田町に伝わる夫婦石。二つの石の間を触らずに通り抜ければ良縁を得るという言い伝え。触らずに通るという条件が付いているのは、これは二つの石の間を通り抜けることが禁忌であった次第を伝える。二つの石の間が道路であっても、そこを通ると怪異に会い、災厄にあうとしており、夫婦仲を裂かれると言い伝えられている。
【出展:石の伝説(石上堅著)】
         
          殺生石        
        長野県北佐久郡     情報提供:柳原輝明
          長野県北佐久郡に鏡石がある。それは神様が山頂から鏡を投げるとそれが落ちて石になったというもので、昔、石や玄能で割ろうとして打つと、山鳴りがし、たちまち火の海が降って、石屋は死んでしまったと伝う。
【出展:石の伝説(石上堅著)】
         
          縁切石        
        長野県東筑摩郡     情報提供:柳原輝明
          貞享のころ、松本藩主水野忠直は、酒色におぼれ膏血を絞り尽くし凶作続きも顧みなかった。貞享3年位には長雨と疫病が続き、農民は貧に疲れ、凶歳に飢え痩せているにも関わらず増税したので、領内の農民はますます困苦に陥った。時に、中萱村の庄屋多田嘉助、一身を賭して奉行所に愁訴、従う農民2000、徒党を組む反乱とみなされ逮捕。磔に処せられる前日、嘉助はその妻お民に迷惑かけまいと、後を追ってきたお民を石に腰を下ろして待ち、無理に縁を切った。その石は、東筑摩郡島の内村の奈良井川と松本市の間の養老坂の分かれ道の叢にある。縁切石と呼ばれる。この石の横を嫁入りのとき通るのを忌み、縁切りを望む折にはその前に額ずいて、石にこもる恨みの力を利用する。
【出展:石の伝説(石上堅著)】
       
        佐賀県                      
          津波石        
        佐賀県     情報提供:柳原輝明
          豊臣秀吉が名護屋にいたとき、海辺の石に休もうと腰かけたところ、その石が暖かくなって、むくむくと動いたので驚き由緒を訪ねると、佐用姫の石と古老が答えた。秀吉はそんな馬鹿げたことがあるものかと、その石に小便をかけたところ、沖からにわかに大波が押し寄せ、この石を洗い流しはじめたので、恐縮して神領100石を寄進したと伝えられる。
【出展:石の伝説(石上堅著)】
       
        大分県                      
          女郎岩        
        大分県直入郡都野村     情報提供:柳原輝明
          平家滅亡の時、一人の女郎がこの村に逃れてきたが、一人の武士にとらえられ、責め殺されてしまう。その怨みで石になった。この石に触ると大雨が降ると云い、又この石を他に移すと元の場所に戻ってしまうと伝う。
【出展:石の伝説(石上堅著)】
       
        茨城県                      
          天狗石        
        茨城県久慈郡     情報提供:柳原輝明
          常陸の国久慈郡の真由美山中に天狗が住んでいて、とても白い石を愛した。もしその山の白い石を持ち帰ると夜には必ず石がその家の屋根に落ち被害を与えると云う。その人が、過ちを悔いて白い石を山に戻すと祟りが止まると云う。
【出展:石の伝説(石上堅著)】
       
        新潟県                      
          乳石        
        新潟県糸魚川町     情報提供:柳原輝明
          新潟県糸魚川町に伝わる話。嫁が大した苦しみもなく玉の子を生んだ。一家喜びの色に揺れているが、嫁は青く細るばかり、乳が出ないのだ。額を寄せ合って相談した結果、神様に伺う。「家の裏に埋まっている石を粗末にするからだ。」という事で、掘って見るとはたして乳房型の一対の大石があった。それを祀ってからは、嫁は明るく太り、乳も余った。それでこの石を姥母石とよび、乳の足りないものがお参りすると験があると云う。
【出展:石の伝説(石上堅著)】
                 
                     
                               
 本サイトの著作権とリンクについて  Copyright(C) 2004-2015 Iwakura Study Society. All Rights Reserved.