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2018年2月24日 中山寺イワクラツアー | |||||||||||||||
2018年2月24日、イワクラ学会の中山寺イワクラツアーが19名の参加で行われました。 案内は徳平尚彦氏でした。 |
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中山寺は、聖徳太子が大仲姫のお告げによってこの山を開き、悲運の忍熊皇子の鎮魂供養のため、また逆臣物部守屋の障りを除くために中山寺を建立されたと伝わります。 それに関係のある石の唐櫃(からと)と呼ばれた白鳥塚古墳が中山寺の境内にあります。 |
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中山寺から1.2キロメートル登ると夫婦岩に到着しました。 人造と思われる大きな2つの石組みで、磐座に違いありません。 麓の売布神社の奥宮の可能性が高いと思います。 。 |
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中山寺の奥之院は、中山寺から2.1キロメートルの距離にあります。 朱塗りの真新しい寺院の西側に白鳥石が祀られていて、その下から清水が湧き出ています。 白鳥石は、白鳥塚古墳から白鳥となって飛び立った忍熊王の御魂がこの石の中に消え、その時に湧き出した水が大悲水とされる伝説の磐座です。 奥の院の背後には、三神の窟(いわや)と呼ばれる磐座が鎮座しています。 現在は仏教寺院となってしまっていますが、本来この場所は、三神の窟を祀る場所でした。 三神の窟には、忍熊王と両親の仲哀天皇と大仲姫が祀られています。 |
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三神の窟(いわや)に対応する五神の窟と七神の窟が奥の院のさらに上に鎮座していました。 五神の窟の看板には、天照皇大神(てんしょうこうたいじん)、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)、瓊々杵尊(ににきのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、葺不合命(うがやふきあえずのみこと)と書かれていました。「鵜草」の文字が抜けていますが、天照と忍穂耳に日向三代を加えて、神武へと続く直系の五神を祀ったものと考えられます。 磐座は太い立派な立石で横から見ると斜めを向いており、天文考古学の研究対象になるかもしれません。 |
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50メートル登ると、七神の窟がありました。七神の窟は片面が垂直にきりたった巨大な岩を祀っています。 東側の岩の面は真東を向いていますので、太陽を反射する鏡岩かもしれません。また、頂上にはストーンサークルと思われる広場がありました。 (記録 平津豊) |
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